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仏教における輪廻転生




「輪廻転生」という言葉を聞いたことがありますか?これは、仏教における死生観です。輪廻転生の意味を簡単に言えば、人は死後何度も生まれ変わること。

輪廻転生は、映画や小説のテーマにもなっていることも多く、実はこの輪廻転生は残された家族にも大きな役目があるのです。法要がそれにあたります。

この記事では、仏教の教え、輪廻転生や法要はどんな関係があるのかに迫ります。



仏教における輪廻転生とは?

生死が解脱のない限り永遠にくりかえすという輪廻転生の世界
生死が解脱のない限り永遠にくりかえすという輪廻転生の世界


まずは「輪廻転生」について。輪廻転生は「輪廻」と「転生」という、どちらも死後のことで意味合いが似ている2つの言葉で成り立っています。まずは、輪廻転生にある2つの言葉の意味を明確にします。

輪廻とは、生命をもつものが、人、動物、虫などの生き物として、生まれ変わることです。この漢字は、生命の無限の生まれ変わりを車輪の軌跡に喩えています。


転生は、肉体と魂を分けた宗教的な考えが含まれます。つまり、肉体が死を迎えると、魂は別の肉体を所有し、新しい人生を歩むのです。

輪廻転生におけるこの2つの言葉はどちらも、生まれ変わることを意味しているのですが、「輪廻」は生命全般、「転生」は人として、この世に戻るというニュアンスで使われています。


六道を構成する6種類の世界


仏教における輪廻転生では、六道のいずれかに生まれ変わります。六道とは、天界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界という6つの世界のことです。どの世界に生まれ変わるかは、その人の生前の行いによって決まります。

実は、この六道はどれも苦しみの世界です。少し否定的ですが、仏教では人は煩悩が必ずあるとみなされています。ですから、生まれ変わる六道のどの世界も執着心や欲望といった煩悩がある状態のため、それにより程度の差はありますが、苦しみが伴うのです。

つまり、この六道にいる以上、苦しみから永遠に逃れることはできないと仏教では言われています。死後まで苦しまなくてはいけないことを否定したくなりますが、徳を積んで輪廻を超越すれば、浄土という極楽世界にたどり着けます。よく耳にする極楽浄土のことですね。これが、仏教の教えであり、仏教の基礎なのです。

では、六道の世界をもう少しみていきましょう。仏教における死後の世界、六道は6つそれぞれの世界の良し悪しに基づいて6段階に分かれています。仏教の六道は上と下で3つの世界に分けることができ、六道の上半分の3種類を「三善道」、六道の下半分の3種類を「三悪道」と言います。


  • 三善道

三善道は、「天道」「人間道」「修羅道」のことです。天道は天人の世界であり、人間よりも優れた存在が住む世界です。人間道は、その名の通り人間が住む世界、修羅道は阿修羅の住む世界で、いつも争いを考える心に支配されています。

  • 三悪道

三悪道は「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」のことです。この3つの世界は特に苦しみに満ちた世界です。畜生道は畜生(動物)の住む世界。本能に従って生きる弱肉強食の世界とされています。餓鬼道は、餓鬼の住む世界で常に飢えと渇きに苦しみ、精神的にも肉体的にも困難や苦しさを強いられる世界です。地獄道はいわゆる地獄。あらゆる責めや苦しみを受ける世界とされています。

仏教の六道を知れば知るほど、死後の世界を否定したくなりますが、これを教訓に、今生きている間にどれだけ良い行いをできるかを実践していくことも、価値あることでしょう。


なぜ四十九日に法要が実施されるのか?


仏教式の葬儀 のあと、故人に対して初七日や四十九日といった法要を行います。儀式だからなんとなく法要を行っている人も多く、また法要なんて古臭いと否定的な人もいますが、法要は仏教の教えに準じた行為であり、きちんとした意味を持つものです。仏教の教えを紐解いてみると、死後の考え方、法要の意味合いも明確になります。

故人の法要でよく知られているのが、初七日や四十九日、そして一周忌、三回忌でしょう。

昨今、初七日は、時間的、価格的なことで葬儀の中の流れに加えられていることも多くなりました。しかし、四十九日法要は、親族などが集まり、僧侶に読経をしてもらう遺族が多いでしょう。

死後の数え方は、故人が死亡した日を1日目として考えます。そして、死後から49日たった四十九日は大きな節目の日。簡単に言えば、四十九日は故人の魂が次の世に旅立つ日なのです。

四十九日には、今まで自宅にて手元供養していた故人の遺骨を、お墓に納骨したり、一部を手元供養として残してそれ以外は散骨したりなど、さまざまな形で故人を送り出します。その後は墓参りでの供養や、故人の遺骨や遺灰で遺骨ダイヤモンドなどを作製し手元供養をしたりするのが一般的です。

遺族は、四十九日をもって、故人としっかりお別れをし、元の生活に戻ります。そのため、四十九日で喪が明けたとする方も多いようです。


四十九日の仏教的な意味

実は、死後、故人の魂は四十九日まで、仏教の六道のどこに行くかは定まっていません。仏教では、死後の世界では10人の王がいて、裁判官のように裁きを下します。そして、四十九日経ったその日に行く先が決められ、故人は旅立つとされているのです。これが輪廻転生です。

この裁きは、生前の行いを細かく見ていきます。



法事が行われたあと、僧侶や遺族、参列者で食事をとります。
法事が行われたあと、僧侶や遺族、参列者で食事をとります。


このようにして、故人は死後の世界から輪廻転生していきます。 この裁きの日、つまり四十九日に、親族が法要を行うことは、裁きに、つまり輪廻転生にプラスとして働きかけるのです。その働きかけは、僧侶の読経によって行われます。

そのため、故人が浄土に行けますようにとお願いするのが、四十九日法要の目的です。現代で言えば、嘆願書を裁判長に提出するイメージかもしれません。四十九日法要を死後49日が過ぎる前に行われるのは、こうした理由からなのです。

仏教における数え方で一周忌の法要や三回忌の法要も執り行われますが、同じような意味合いがあります。少しでも故人が徳を積んで極楽浄土に行けるようにと、遺族の法要が故人の魂を救済していきます。

その変化は供養にまで及び、現在では手元供養の需要も高まっています。メモリアルダイヤモンドなど、さまざまな手元供養のアイテムは手頃な価格で購入でき、時間のロスもなく故人を供養できることで、手元供養は話題です。

そのため、法要にもそうした傾向が及ぶこともあります。価格の問題から法要を行わなかったり、仏教の意味を知らずに法要を否定したりなど、さまざまな価値観がありますが、故人が別の世でも幸せに暮らしていけるようにしてあげられるのは、遺族の力です。仏教の教えは、故人を弔うためだけのものでなく、残された家族にとっても大きな効力を発揮するでしょう。


まとめ

輪廻転生とは、仏教における死生観であり、人の死後、何度も生まれ変わってくることを意味しています。その場所は、六道といわれる6つの世界のいずれかです。

六道は、優劣はあるものの、すべて欲求や執着心といった煩悩のある世界のため、どの世界も苦しみを伴います。六道を上と下で3つずつ分けた下半分は、非常に苦しみのある世界とされ、これを考えただけでも輪廻転生を否定したくなるほどです。しかし、この否定する気持ちを抑え、今の世でどれだけ良い行いができるかを考え行動することが、死後の世界をより良いものとするでしょう。

四十九日は死後の数え方で49日目にあたり、故人の魂がこの日にどの世界に行くかが決まる運命の日です。そのため、四十九日法要とは、読経によって故人の魂の価値を高めてあげる行事であり、故人にプラスに働きかけます。

つまり、四十九日法要の目的は故人の魂の救済なのです。ですから、法要の価格といったさまざまな問題はあるかもしれませんが、遺族として今はなき家族にしてあげられる故人への思いやりが法要という形なのです。




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